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字は体を現す

母がペン字の先生なので、久しぶりに筆記についてのアドバイスを求めました。

実は私は字が下手です。人が読むことはおろか、自分でも自身の字を読めないことがあります。英語圏での生活が長かったという言い訳もできないほど、時に間違えた漢字を雰囲気だけでグシャグシャっと書きなぐったメモがカバンの底から見つかったりもします。

人前で字を書く機会

今日の午後も議員控室にて作業をしていると、議事録の署名を求められ、名前を記す機会がありました。

丁寧に書いたつもりなのですが、名字の『パターソン』という部分が未だに書きなれず、特に『タ』の字が自分の美観に合致しないのです。

フラストレーションが貯まるのもそうですが、筆記表現という、一種の誰にでも与えられた共通の表現の土俵で、自分があまりにも乏しい作品を残していることに恥ずかしい気持ちが芽生えてきました。

このブログの文章を記すにはパソコンでの入力が必要です。間違いもなく、何度打っても同じ字体のピクセルが画面を反復していきます。

一方、筆記というのは書いた数だけの表情がある。個性がある。失敗がある。私の場合は失敗続きですが、改めて、なんて普遍的な表現をおろそかにして生きてきたのかと恥じ入るばかりの日々を送っています。

ひらがなのれんしゅう

夕方に家に戻ってからは4歳の長女とともに平仮名の練習をしました。気持ちを込めて書けばそれなりにきれいにかけるものです。上達したらはがきや手紙など書いてみようか。そんな図々しい気持ちまで湧いてくるから不思議なことです。

ソーシャルメディアを一切しなくなり、電文でのコミュニケーションはEメール、またはLINE程度です。便利ですが、伝わらないものが多いと感じます。その大事なものが伝わらないから、誤解を生んだり、トラブルになったりもします。

今年は字を書く機会を増やして、その時々の表情や感情を表現していきたいと思っています。