人間、小さい
夜に外に出て星空を眺めるたびに思います。緊張感のある冬の空気、星も月もしっかり見えます。星まで何光年という想像もつかない距離があるにも関わらず、こうして地球上の自分の目に光が届くのです。
地球に住まう自分はなんと小さいのだろう。そして、そんな小さい小さい生物たちが、限られた知能であーでもない、こーでもない、と顔を真っ赤にしているのは、銀河レベルで見ると喜劇にしか見えないかもしれません。
自然を切り売りしてるだけ
ゼロカーボンやSDGsなど、環境を意識したメッセージが溢れる世の中になりました。地球のため、自然のため、というより、人間がそれなりに心地よく住まうためには必要な努力なんだと理解しています。
様々な産業・サービスが存在する地球ですが、あらためて立ち返ってみると、我々は自然資源を切り売りしているに過ぎないように思います。物を作るにも、野菜を育てるにも、何をするにも自然の力を使って、それを消費するか付加価値をつけて貨幣と交換することばかりです。
先日の夕飯は冷凍の魚のフライでした。
魚を海から釣るにも船がいる。船の燃料はもちろんですが、船が製造されるまでの様々な過程、そしてその素材、それらは全て自然環境から頂戴したものということになります。
フライにまぶす小麦粉も重油を使う重機で耕した物でしょうし、卵に至ってはおそらく工場のようなところで生育される(ファクトリーファーミングとも言います)ニワトリから来るのです。
鳥は恐竜から進化した、もしくは恐竜そのものである、なんていう説もあるくらいです。フライ1つを作るにも、素材の段階でそれだけの自然を拝借し、さらには海の魚、大地の小麦、恐竜(!!)の卵を合体させ、ガソリン車で工場からスーパーへ、スーパーから我が家へと運び込まれたことになります。
(鳥と恐竜についてのリンク)
貨幣価値で1切れ100円もしないのではないでしょうか。北海道の最低賃金で換算すると7分ほどの最低賃金労働で得られる日本円で、このフライと交換することができるのです。
恐竜の卵ですよ
人間は自然の切り売りでここまで繁栄して、今日の社会ではそれほどの労働をせずともこのような奇想天外な料理を安価に買うことができる。そりゃ持続可能性も低いわけだ、と妙に納得してしまいました。
星空を見て自分の小ささを思い知った後、食卓に並んだフライをジロジロと見ながら、こんなことを考えていました。