経歴

のむらパターソン和孝 幼少期

幼少期

昭和59年(1984年)11月22日、北海道旭川市で生まれる。体重は3,180g、血液型はB型。幼稚園の頃はテレビCMを完コピするのが上手でした。

のむらパターソン和孝 小学生

小学生

旭川市立陵雲小学校を卒業しました。6年生の時には生徒会長を務め、この時に初めて選挙を体験しました。人前で話すのが好きなのはこの時の経験が元になっているのかもしれません。

中学生

北海道教育大学 附属旭川中学校を卒業しました。勉強そっちのけでエレキギターばかり弾いていて、父の影響でジャズ、ベンチャーズ、ビートルズばかり聴いていました。卒業式に壇上で「音楽で世界を変えたい」と宣言したことが次10年ずっと脳裏に焼き付いていました。

高校生

北海道旭川東高等学校を卒業しました。ギターばかり弾いていたので成績が悪かったのですが、高校2年生の冬休みに個人で習っていた英語の先生の息子さんを頼って初めてアメリカに行きました。現地で購入した洋書の書き出しが人名の”Tom”だったのですが、当時は意味がわからず辞書とにらめっこしていました。ホームステイ先の方に”Tom”の意味を尋ねると「人名だから辞書には出ていないよ」と教えてもらい、トムという名前すら知らなかった自分の英語力に絶望しました。空港で飲んだキャラメルマキアートの味も忘れられず、英語の猛勉強を開始しました。

大学生

写真は渡米して初日の様子です。ワシントン州シアトルのコーニッシュ芸術大学音楽部を卒業しました。ジョン・ケージという現代音楽家とマース・カニングハムという振付師がつくったアートスクールが基礎となっている学校でした。私も大ファンのオリヴィエ・メシアンに師事した教授からレッスンを受けることもできました。

大学卒業

大学生時代から全米で演奏活動を行っていました。卒業と同時に期間限定の就労ビザを取得し、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア、ボルチモア、ワシントンDC、シカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ポートランドなど全米で演奏しました。2024年現在まででの公演回数は600~700回くらいになっています。

プロ活動

ギターと歌声だけで色んな場所での演奏機会に恵まれました。アコースティックギター片手に1,000人の前で演奏することもありました。そもそも応募していないシアトルのバンドコンテストに補欠候補として出場要請を受け、なぜか優勝したことで楽曲が保険会社の全米テレビCMにも採用されました。全米中でTVで毎日10回は流れるので「もうCMを止めてくれ」という苦情が僕の元に来ることもありました(笑)

東京で外資系IT企業数社にて通訳

東日本大震災が発生し、日本が大きく変わる瞬間だと思い故郷に戻りました。2012年には東京へ引っ越し、日本で役立つ唯一のスキルだった”英語”を使って翻訳・通訳などに従事しました。皆さんも使ったことのある某検索会社の翻訳サービスの精度向上を始め、様々な機会に恵まれました。

ニュージーランドへ

東京での仕事は楽しかったのですが、30歳の転機で新しい挑戦をしたいと思い、ヨーロッパを周遊した後にニュージーランドに移住しました。現地でも米国のIT企業や国内のスタートアップなどでの仕事に恵まれ、良くも悪くもリラックスしている海外での労働に驚かされました。現地出身の妻とも出会い、アメリカ一辺倒の価値観からも脱却できました。

故郷・旭川の再生のために

2016年6月、ニュージーランドで買ったFuji Featherというシングルギアの自転車を持って日本に戻ってきました。成田空港で自転車を組み立て(あのときダンボールを処分してくれたクロネコヤマトの店員さん、ありがとうございました)、夜の成田から旭川を目指してペダルを漕ぎ始めました。

事前に企画していたライブ演奏10本(確か東京、埼玉、福島、仙台ほか)の会場にも勿論自転車で登場。最終日は札幌から旭川を一日で漕ぎきり、故郷の旭川市に戻ってきました。

13年ぶりに本腰を入れて戻った故郷の姿は無残にも変わっていました。市内に溢れていた空き店舗や空き家。こうした物件を活用すればもっと街が楽しくなる。2017年ごろから空き店舗の購入・DIY改修を始めました。手放してしまったものもありますが、これまでの購入数は30近くなっています。地域の事業者さんから相談を受けることも増え、シェアオフィスの開設なども手伝いました。

写真は北海道新聞が取材してくれたときのものです。

当時の僕の思いは雑誌ブルータスなどで知られるマガジンハウスにて連載させていただいたこちらの記事をご覧ください。

政治家が空き家・空き店舗の活用を語ることは簡単です。ただ、私以上に粉塵・アスベストを吸い込み、バールを片手に空き家と向き合った政治家はほとんどいません。

アーティストインレジデンスあさひかわ始動

シンガーソングライター時代には日米で本当に多くの方にお世話になりました。その時のご恩は未来のアーティストに返したいという気持ちで『アーティストインレジデンスあさひかわ』を立ち上げました。

アーティストインレジデンスとは芸術家に一定期間滞在していただき、その地域の風土や文化を感じていただきながら製作にあたっていただくための取り組みです。これまでに15名ほどのアーティストに旭川を体感していただきました。2020年の始動時は旭川市との共同プロジェクトとして、ユネスコ創造都市ネットワークにも加盟している『デザイン都市・旭川』の地域文化の醸成のためにも汗をかかせていただきました。

現在は受け入れペースを落としていますが、希望するアーティストの方がいるときはなるべく受け入れを行えるように準備をしています。